”現実は小説よりも奇なり”を面白半分で考察
日本のことわざの一つに、現実は小説よりも奇なりと云う言葉があるけれど、本当にそうだろうか?
僕の結論は、そうであると明言する。
つまり、現実の方が小説よりも奇なのだ。
けれど、大勢の人はここで首を大きく傾げる事だろう。
何故なら、自分達の周りで繰り広げられている私生活の中で、アンドロイドが電気羊の夢を見る事も無ければ、突然6582人が同時に自殺を試みる事もないし、朝起きると男と女が入れ替わっている事も無いからだ。
僕だって無い。
だから、僕の現実だけが小説よりも奇なりであるが故に、”現実は小説よりも奇なり”と云うことわざを肯定している訳では無いことはここで否定する。
なら何故、至って普通の現実を生活している僕が、現実の方が小説よりも奇なりなのか。その理由を考える為に、”現実は小説よりも奇なり”を使う場面を想像してもらいたい。
ある日の夜。
家で一人で居る貴方が、プリンを冷蔵庫に入れたとする。
翌朝の朝食に食べる為である。
冷蔵庫にプリンを入れた貴方は、プリンを食べたい気持ちを抑えて寝たとする。
そして翌朝。
プリンを楽しみにして冷蔵庫を開けた貴方は、叫ぶ
「プリンが消えとる!」と。
昨日から今まで家には自分だけだったはずなのに、何故?
ここで終われるのが現実である。
つまり、プリンが消えた理由は分からず仕舞いで終わるので終わっても問題無いのだ。
けれど小説はこれでは許されない。
何故なら、
話に落ちがないからだ。
冷蔵庫に入れておいたプリンが無くなりました。
それでは小説として発行されないのである。
まだ腑に落ちない人の為にまとめると。
ある出来事が分からず仕舞いで終われる現実と、そうでは終われない小説があるが故に、現実では自分で色々と考察して、出来事が段々と奇になり、話が完結してしまっている小説では、それ以上奇になる事は無い云うことである。
よって、現実は小説よりも奇なり。